□ 明日、晴れたら □

【Series:CHILDREN



殺すことが正しいのだと、思い込むことで救われている人間がいる。
其を認められぬ己は、何処かで世間体を気にしているのだろうか。
羨ましいと想う自分から逃げていた――


【明日、晴れたら】
アシタ、ハレタラ


 汗が流れ落ちた。
陽に焼けた黒い肌の上を、塩辛い水滴が滑っては消える。
其の様は、まるで肌が溶けているかのようにも見えて、ただただ笑いを誘う。


 時節柄、汗を垂れ流す時季は過ぎた。
それなのに、眼前に陣取る彼の発汗量と言ったらないのだ。
清潔感漂う白いYシャツを身に纏ったところで、塗れてしまえば折角の爽やかさも半減する。


 体質の問題もあるのだから、笑うのは失礼と言うもの。
だが、一度ツボに嵌まってしまったら、そんなことも言ってはいられない。


 込み上げてくる可笑しさをひた隠し、上品な人がするように片手で口許を押さえた。
彼はそんな仕種を気にも止めずに話し続けている。
其はマシンガンかと見紛う程の勢いで発せられており、汗の正体も体質と言うよりは緊張に因るものだろうと推測出来た。
何せ、この席は見合いなのである。
緊張してしまう、それも些か仕方ないことだ。


 見合い会場は、とあるホテルだった。
普段、縁のない場所なだけあってか、かなりの息苦しさを肌で感じる。
着物を着ていたからという理由も大いにあるのだが。


 部屋の様式は和室で、中央のテーブルを挟んで向かい合う形だ。
隣には互いの母親が着いている。
彼の後ろには書道の掛軸が飾ってあり、善し悪しは判断出来ないが、私の好みには適っていた。
縁側に顔を向けると視界に庭園が広がる風流ある部屋で、悪くはない。


 問題は見合い相手だ。
何を考えているのか、見合いの度に、必ず話はある人物に向く。
其が気に食わない私は、見合いをしては断っていた。




 一見幼く、性別の判断に遅れが生じる容姿を持った、従兄(いとこ)の友人が盛大に笑う。
炬燵の板を叩いて笑うものだから、部屋中が震えているような錯覚に陥った。
仏頂面で無愛想、笑みの一つも浮かばない従兄の眉が不快に歪み、鋭い眼孔が私を捉える。
迫力だけは満載だ。
睨むだけで何も言ってはこないのだから威力は零に等しい。

「見合いなのに、毎回クリのこと聞かれるの?」

未だに声を震わせ、従兄の友人こと宇津井 知有(ウツイ チユウ)が目元を指先で拭いながら尋ねる。
笑い過ぎて涙が出たようだ。

「うん。次の新刊はいつ出るのとか、サインを貰って来てくれとか。明らかにクーたん狙いなの! 本当ムカつくんだからっ」

頬に空気を溜め剥(むく)れてみせる。
従兄こと粟冠 倶利(サツカ クリ)は、「クーたん」と呼ばれることが嫌らしく眉間に皺を刻んだ。

「クーたんは小説家だし、何だかんだで有名人だもんなあ。仕方ないよ、アツ」
「……チユ。止めてくれないか、その呼び名」

面白がって「クーたん」と口にした知有に、初めて倶利が喋る。
知有はニッコリと笑顔で「何で?」と首を傾げた。
中々の強敵だ。

「良いじゃん、可愛くて。あ、アツ。クリがクーたんなんだ。オレのことはチーたんって呼んで?」

アツこと粟冠 温希(サツカ アツキ)に知有の暢気な提案が持ち掛けられた。
私は極力嫌がっているのが解る嫌悪に充ちた顔を作る。
二人の前では「無邪気な温希」でいたかった。

「えー、ヤだよ。クーたんは家族だからクーたん。知有は他人だから知有で良いでしょ」
「うわ、オレ他人? 他人なの? アツ酷い。流石のオレでも傷付くぞ」
「大の大人が何言うの。知有ももう20歳になるんだから、シャンとしなきゃ! クーたんを見習うべし、なのだ」

私が拒否を全面に押し出すと、大袈裟なぐらいに知有の肩が下がった。

「お前も19歳だろ。働きもしない、大学にも行かない。で、何をするかと思えば見合いだ。……早いんじゃないか?」

蜜柑の皮を剥きながら、解せないと言外に付加し、珍しくも長々と倶利の言葉が続く。
へらり、と無邪気に見えるだろう笑みを貼り付けて、私は人差し指を立てた。

「クーたんは解ってないなあ。私は今、就活してんの。お嫁さんは立派な職業です!」

立てた指を左右に振り、口調だけは真剣さを装う。
嘘の理由を平気で口に出した。
本当の理由など、倶利にだけは言えない。
仮令其が、本人にバレていようとも。

「そっかあ、アツは女の子だもんね。やっぱりお嫁さんになりたいのな」
「嫁以外の何になるんだ? 旦那か?」
「そのボケ駄目ー。ボケの才能ないよ、クリ」

二人の会話は場違いな程に明るい。
知有の手が倶利の肩に掛かる。
倶利は其を享受し、あまつさえ微笑みを向けたりするのだ。


 有り得ない筈だった。
倶利の顔に笑みが浮かぶことなど、もう有り得ないのだと小学生の間は思っていた。
知有に会うまでの私は、世界を知らずにいた。


 倶利は笑えるのだ。
感情が存在する。
そんな事実さえ、彼は私達親戚に見せようとはしなかった。
独りで抱え込み、自分を責めては傷付けて。
何処かで感付いていた筈なのに、誰もが知ろうとはしなかった。
大人達は関わらぬことで彼から逃げ、私は同情することで、彼とは違うのだと思い込んだ。


 けれど、私は知っているのだ。
倶利と私が似ていることを。
私の体には粟冠の血が流れている。
狂った血筋だ。


 髪を伸ばしたのも、化粧を早くから始めたのも、肌を焼いたのも、全ては倶利の影から逃げ出す為だった。
粟冠の血は濃い。
似すぎてしまうのだ、容姿も性格も。
常に倶利の影が着き纏ってくる。
きっと、似すぎているから、私では駄目だったのだろう。
倶利の心には残れなかった。
それだけのこと。
されど、それだけのことが痛い。


 私には出来ないことをやってみせる。
見せ付けられた。
知有は、確かに倶利の中にいるのだ。
根底は似ているのに、私達が知りたくなかった事実を、さも当たり前かのように暴いてみせた。
倶利にも感情がある、其を臆しもせずに受け入れている。


 他人の癖に、幾度となくそう思った。
そんな自分が嫌になる。
他人の知有が倶利に一番近い。
そのことが私をイラつかせる。

「温希は粟冠の家から出たいんだよ、チユ。嫁げば苗字も変わるし、粟冠との関係も切ろうと思えば切れる。温希は女だからな」

肩に置かれた知有の手を、そっと払い倶利が言った。
矢張り、倶利には隠し事など出来ないことを改めて痛感する。
何が気に食わないのか、知有の眉が中央に寄る。
払われた手で頭を掻き口を開いた。

「実家を捨てるってこと? そりゃ、色々あったけど、何も切らなくたって」
「知有には解らないよ。粟冠の血がどんだけ重いのか、知有には解らない」

無邪気な温希は、こんなこと言わないのに。
言葉は止まらない。
演じることの限界なのだろうか、無邪気な顔など曝せはしなかった。
ずしり、と顔面に重しが乗っかる。
笑みすら浮かばない。

「オレは所詮、傍観者だから。解るなんてことはないよね。ただ第三者としての意見を言っただけ。其をどう受け止めるかは、アツが自分で選ぶこと、だよ?」

痛い。
知有の言葉が痛い。
どうして無邪気な顔で他人(ひと)を試すようなことを言えるのだろうか。
口調は優しいのに、言っていることは暗に突き放していた。
穏やかな顔で言ってしまえる辺りが恐ろしい。

「アツは矢っ張り、クリに似てるよなあ」

黙り込んだ私に向かい、知有が続ける。
この科白(せりふ)を聴いた私は、この人には敵わないのだと悟った。
解ってはいても認められなかった、其が今、すっと解(ほど)けて消える。
私よりもずっと先にいるのだ。
敵う筈もない。

「……ムカつく。チユなんか嫌いだ」

ふい、と知有から顔を逸らす。
悔しくて堪らない。
それでも、嫌いにはなれなかった。
素直になれぬ私の精一杯な抵抗すら、知有の前では無効になってしまうのだ。

「オレは好きだよ? チユって、呼んでくれて有り難う」

横目で窺えば、心底嬉しそうに顔を綻ばせているのだから、私の心中は複雑さを極めていく。

「意味なんてないよ。クーたんがそう呼んでるからだもん」

知有と視線が合いそうになり慌てて目を逸らした。
小さな声で付け加えてはみても、何とも言い訳がましくて嫌になる。

「矢っ張り、アツはクリ似だね。素直じゃないんだからさ」

何が嬉しいのか、知有はニコニコと笑顔で蜜柑の皮を剥き始め、一房掴み口に放った後、呟いた。
その余裕っ振りが癪に障る。
この男は私をイラつかせる才能に恵まれたに違いない。

「似てなんかないしっ」

奥から倶利の母、京(ミヤコ)が顔を覗かせる程の怒声が居間に響いたとか、そうでないとか。


 斯くして正月の夜は更けていったのである。




 可愛い顔して痛いところを平気で突く男。
そのぐらい出来なくては倶利の親友など務まらないのだろう。
倶利と知有。
認めたくはないが、良いコンビかもしれない。
何処かでそう思う私がいた。


 明日、晴れたら。
腹いせに三人で買い物に行こう。
勿論、知有は荷物持ち。
どうせ倶利が手伝うに決まっているのだから、少しぐらいコキ使ったってバチは当たらない。
私をイラつかせた代償は大きいのだ。


 だが、きっと知有は楽し気に笑う。
楽しそうな自分を演じる、其が彼の「素」だろうから。
演じることが知有の一部となっているのだと、私にはそう思えた。


 知有が抱える闇を、私は知らない。
彼の素顔も、だ。
倶利と知有を引き合わせたのが其の闇だと言うのなら、知る必要が私にはあった。


 倶利は変わった。
知有が倶利の心に残ってから、倶利は変わったのだ。
だとしたら、私も変われる。
そんな気がした。


 明日、晴れたら。
知有の素顔を探るのも良いかもしれない。
私の中で知有への評価が上がった、そんな夜だった。


明日、晴れたら/END




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